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「別れの曲」

ゲツァ・フォン・ボルヴァリー監督の「別れの曲」を観た。フレデリック・ショパンのある一時期を描いた伝記映画である。
ショパンの事など何も知らず、神経質で寡黙なイメージを持っていたので、この映画で描かれている、ポーランドの独立運動に熱意を燃やし、思い立ったらじっとしていられない熱いショパンの姿は意外だった。
ショパンがピアノを演奏する場面がたびたびあるが、1934年に公開されたという古い映画なので、音と俳優の演技がぴったりというわけではなく、どうしてもその俳優が弾いているようには見えない。
でも映画全体にとってあまり問題はない。むしろ大らかでいいなー、と思った。ショパンとリストが連弾する場面など、なんかかっこ良くて何度も観てしまった。
もう一つ大らかだと思ったのは、ショパンが作家のジョルジュ・サンドに一目惚れしてしまい、その後、男装したジョルジュ・サンドに別の場所で偶然会うが、まったく気付かないところ。髪型も化粧も同じ。ただ、ドレスでなくタキシード(だったか?)にシルクハットを被っただけなのに「あの紳士は〜」などと言っている。そういうところもいいと思った。
ショパンには尊敬している音楽教師のエルスナーという教授がいるが、この教授が良かった。この映画全体がこの教授目線で描かれているようにも思う。
熱意に駆られて部屋を飛び出して行ったショパンに呆れ、エルスナー教授が1人で叫ぶ、
「まったく近頃の若者ときたら!恋だ革命だと、私の若い頃とまったく変わってないじゃないか!」
という台詞が印象的。ニヤリとしてしまった。なんだかとても愛を感じたのだ。


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今日の小学生

# by nu913 | 2018-12-07 09:15 | 映画 | Comments(0)

「新幹線大爆破」

佐藤純彌監督の「新幹線大爆破」を観た。
「わあ!0系!」と、これに乗って何度も家族で京都に行った記憶が蘇り、ノスタルジックな気分になった。
しかし、この映画が提起している問題は、ノスタルジックなものではない。
科学技術が進歩して機械が手動でなくなり、人の手を離れて行き、やがて人が制御できない状態になる恐怖。
便利なはずのシステムが、逆に人間の首を絞める。
すべての出入口が電気仕掛けの自動ドアであるマンションなど、停電したらどうなるのだろう?といつも思う。
科学技術の恩恵をたっぷり受けて、それに沢山助けられて生きている私たちは、無論それらを全否定することなどできるわけがない。どのように折り合いをつけて生きていくのかを考えさせられる。

しかし、高倉健が犯人役だったとは意外だった。勝手に刑事、というか、犯人とは逆の立場にある者だと思っていた。
でも高倉健、犯人でも何故か応援したくなる。
佐藤純彌監督の作品は、以前「おろしや国酔夢譚」と「人間の証明」を観たが、両作品とも「大真面目」な印象だった。笑うところが一ヶ所もない。(「おろしや国〜」では、西田敏行の所作で少し笑いを誘うところがあったが。)
「新幹線大爆破」も、どんなに大真面目かと思ったが(そして大真面目だったが)、新幹線内で乗客達がパニックになり、いかにも大阪商人という感じのビジネスマンが大騒ぎしているシーンが、少しユーモラスだった。

ウルトラマンのハヤタ隊員役だった黒部進も、刑事役で出演していました。


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今日の小学生

# by nu913 | 2018-12-06 12:21 | 映画 | Comments(0)

「黒部の太陽」

熊井啓監督の「黒部の太陽」を観た。
実に、映画はいろいろな事を教えてくれる、と感じた映画だった。くろよんダムとは昔から名前は聞くが、このように多くの犠牲をはらってできたとは・・
黒部峡谷にダムを建設するにあたり、山奥の工事現場に資材を運び入れるためのトンネルを掘る人々の物語。
「山の恐ろしさ」と言うと、遭難事故とか雪崩とか、イコール「天候の恐ろしさ」の感じがするけれど、この映画で感じた山の恐ろしさは、「地中の恐ろしさ」。
考えてみれば、山の体に穴を開けて貫通させるなんて、山の神様も怒って当然、と思う。(山の神様のようなものを暗示する表現はありませんでしたが、勝手にこう思いました。)
自然の側からも、人間の側からも、公平にえがかれている感じがした。数々の苦難に立ち向かい、諦めず、ついにトンネルを貫通させる、大自然よりも絶対的に弱い人間達に感動した。しかし、どこかに虚しさが漂う。
この映画の三船敏郎は、珍しく自分の感情を抑えてじっと耐える無口なエリートの役。だが、地中に蓄積された雨水などがトンネル内で突然噴出するシーンで、水の重みでギシギシいう天井を素早く見上げ、声の限りに「全員退避ー!」と叫び、作業員を全員避難させた後、必死の形相で迫り来る水から逃げる場面は、三船敏郎の本領発揮!という感じがした。すごいシーンだった。


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ロボットを組み立てる小学生


# by nu913 | 2018-12-05 01:49 | 映画 | Comments(0)

「第三の男」

私の父は映画関係の仕事をしていたという事もあり、家にいる時にはいつも映画のビデオをかけていました。だからわが家の居間は、常に何かしらの映画が上映されている状態でした。
そういうわけで私は、一部だけ見たけれどちゃんと全部は観ていない、という映画がすごく多いです。
そういうものをちゃんと観てみたくなり、数年前から月に4〜5本、DVDで映画を観るようになりました。それらの感想を書いてみたいと思います。
(父が他界したのは1998年でしたので、それ以前の映画が多いです。たまに新しいのも観ます。)
自分の思い出なども含めた、ごくごく個人的で部分的な、偏った感想です。

昨日はキャロル・リード監督の「第三の男」を観ました。これに出演しているオーソン・ウェルズですが、子供の頃、コマーシャルに出ているのを見て、何かとてつもなく「大物」な人、という印象を持っていました。イメージで言うと、ノストラダムスの大予言のノストラダムスのような。(笑)
なので俳優と知った時には、え?そうなの?と、なんだかちょっと親近感を覚えました。
そのオーソン・ウェルズが実際に映画に出ているのを初めて見たのでした。
クライマックスの、下水溝での追撃シーンは緊張感あふれるものでしたが、傷を負ったオーソン・ウェルズが、下水溝から地上に出ようとして蓋を押し上げようとする場面、格子状の蓋の隙間から両手の指が突き出しているのを地上から撮っている場面を見て、あっ、このシーン見覚えがある!と思いました。これは「第三の男」だったんだ、と繋がりました。そういうのは何だか嬉しいです。
それと、アパートの管理人の役の人、なんだか気になる(興味をひかれる)と思って後で調べてみたら、以前に観たエリック・シャレル監督の「會議は踊る」で歌手を演じた俳優とわかり、びっくりしました。その歌手もすごく気になったので・・気になる人は気になるんだなぁ・・
同じ俳優に違う映画で再会すると、知り合いのように親しみを持ったりするものですね。
ちなみに、キャロウェイ少佐という人物を演じたトレヴァー・ハワードという俳優は、どうも見覚えがあると思ったら、ヴィスコンティ監督の「ルートヴィヒ」でワーグナーを演じておりました。これは意外でした。

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水をやる小学生



# by nu913 | 2018-12-01 14:47 | 映画 | Comments(0)

夏は、私にとって読書の季節だ。小学生の頃の夏休みに、友達と一緒にバスに乗って近所の図書館によく行った。緑の多い住宅街にあり、中に入るとクーラーがキンキンに効いていた。図書館というと夏の印象があり、それがきっかけかわからないけれど、夏になると本が読みたくなる。
このあいだ、吉本ばななの「N・P」を再再読した。初めて読んだのは、1999年の秋だった。この年は、吉本ばななをがーっと続けて読んでいた。なんだかある作家の作品と、その時の自分の境遇(心境?)が妙にリンクして、次々と読んでしまう時期があるが、その時がまさにそうだった。
次に読んだのは2009年で、子供がお腹の中にいた夏。「N・P」はあるひと夏の物語だが、夏になって、10年前の夏の雰囲気が懐かしくなり、読んだのだと思う。
そして今回3度目だが、読み終えて「やっぱりいい話だな」と思った。初めて読んでから20年近くたつが、若い時にしか感じられない夏が、すごくあらわれている。20年前の自分が、その時過ごしていた自分の夏と、その物語をリンクさせたのも、そこに普遍的な若者の感じ方があったからではないか、と思う。(20年前、私はすでに30代だったから「若者」ではないかもしれぬが…)
きっと、どんな年齢で書いた(描いた)作品でも、その時にしか書けない(描けない)ものなのだろう。それは後になってわかるのだろう。そう思うと、なるべく沢山描いておいたほうが良いな、と思う。

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月曜日の小学生

☆こちらもご覧ください。


# by nu913 | 2018-07-23 13:30 | 読書 | Comments(0)